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宗谷のほたて貝

稚内港北防波堤ドーム(北海道遺産)

概略

稚内港北防波堤ドーム(以下:ドーム)の建設は、1931年(昭和6年)から開始され、1936年(昭和11年)に完成しました。設計者は北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任していた「土谷実」。全長427m、高さ13.6m、柱の数は70本あり、半アーチ型の古代ローマ建築を想わせる回廊は、世界でも類のない建築物であり、長きにわたり、人々を波浪や強風から守り続けてきました。2001年(平成13年)10月には「北海道遺産」、2003年(平成15年)には「土木遺産」にも指定されています。

稚内港とドームができるまで

工事中のドーム
[工事中のドーム]
稚内港の整備計画が初めて登場したのは、1901年(明治34年)であり、「北海道開拓10カ年計画」に記されていましたが、当時は着工まで至りませんでした。
しかし、1906年(明治39年)6月の日露戦争終結に伴い南樺太が日本の領土となり、稚内が連絡港として注目を浴び始め、1920年(大正9年)から「第一期拓殖計画」の中で築港事業が開始されました。
稚内港の建設が行われている中、ドームの建設も1931年(昭和6年)から開始され、1936年(昭和11年)に竣工しましたが、その誕生には、稚内築港事務所長の「平尾俊雄」とその部下であり、北海道大学を卒業してわずか3年目の技士「土谷実」が大きな貢献を果たしました。
稚内は年中強風が吹き、波も高く、ドームができるまでの5.5mの防波堤では、高波が防波堤を易々と越えて岸壁にいる人々を襲い、時には海に転落するという事故もありました。
そこで平尾所長は、1931年(昭和6年)1月、土谷に高波から人々を守るための防波堤を設計し、同年4月からの着工に間に合わせるよう命じました。平尾所長が、柱を建ててカーブ状の庇(ひさし)で波浪を受けるという構想をフリーハンドスケッチで土谷に提示し、土谷が設計・計算するという手順でした。
当時はコンクリートを箱型のケーソンとして製造する以外に使用したケースがなく、大変な苦労を経て設計したと土谷自らが述べています。また、設計者として土谷実の名前が協調されがちですが、ドームは「平尾・土谷の合作である」とも述べています。
土谷は予定通り、わずか2カ月で設計を終え、ドームの建設が始まりました。工事は、冬期間の風浪や寒気に加え、港湾工事技術の幼稚さもあり、とても難航しました。現在でも、建設中に高波で倒壊したケーソンが海中に埋まったままとなっています。

稚内桟橋駅

工事中のドーム
[稚内桟橋駅 鉄道改札口]
稚泊航路(稚内と樺太の大泊(現:コルサコフ)を結ぶ航路)の運航が始まった1923年(大正12年)当時は、稚内停車場(現:南稚内駅)が鉄道の終着駅となっており、乗客は船着場までの1.6㎞を、冬でも徒歩で歩き連絡船へ乗り込んでいました。
その苦労を解消するため、1928年(昭和3年)に稚内港駅(現:稚内駅)まで鉄道が延伸され、1938年(昭和13年)12月11日にはドームの前面に「稚内桟橋駅」が開業され、さらに急行列車が運行するようになりました。
これにより、乗客は列車を降りたあと、雨などに濡れずにそのまま連絡船への乗継が可能となり、稚泊航路が全盛期を迎えました。駅内には乗船待合所や案内所、貴賓特別待合室、婦人待合室、日本食堂1号店も設置されました。

稚泊航路の廃止

1923年(大正12年)に運航が開始された稚泊航路も、1945年(昭和20年)の終戦と同時にその役割を終えることとなりました。1945年(昭和20年)8月9日、国境警察がソ連兵から襲撃を受け、当時南樺太に住む約42万人の日本人が、本土へ帰るため樺太の南の果てを目指しました。同年8月23日には本土へ向かう最後の連絡船「宗谷丸」が大泊港につき、4,700人の方が本土へ引揚ることができました。しかし、全ての方々を乗せることはできず、当時の福井船長は「乗り切れなかった婦人や老人から涙を流して哀願され、心を鬼にしてタラップを外しましたよ…」と述べています。その後ドームは、石炭貯炭場や資材倉庫、利礼航路の発着地として利用されるようになりました。

改修工事とドームの存続

1970年(昭和45年)に部分的な補修工事を行ない維持してきましたが、1975年(昭和50年)に入るとコンクリート表面の剥離と落下が発生し始め、利用上危険な状態となりました。そのため解体の必要性が高まりましたが、樺太航路を支え、まちの発展の象徴的記念建造物であり、港湾構造物としても他に類を見ないデザインと構造で評価が高いなどの理由から、地元からの保存要請の声が強まり、原形への復元と改修が模索されました。 1977年(昭和52年)に最適工法の検討調査が行われ、部分修復による改修は困難であるが、基礎部分は状態が良好であることが確認され、基礎部分以外の全面改修が行われることとなりました。 この改修は1978年(昭和53年)から1980年(昭和55年)に行われ、「昭和の大改修」と呼ばれています。

現在のドーム

現在では、市民の憩いの場、イベント会場として活用され、コンサートやスノーキャンドルなど、年間を通して様々な催しが開催されています。 また、観光スポットとしても多くの観光客が訪れており、他にも映画やCMのロケ地として利用されることもありました。 ドームは、稚内市の歴史的建造物の中で最も代表的なものであり、稚内市のシンボル的な構造物として、約80年以上前から現在まで市民の手によって大切に残されてきました。

経緯(年表)

1920年(大正9年) 稚内港の建設に着手
1922年(大正11年) 稚内まで鉄道が開通し、稚内停車場(現:南稚内駅)が開駅
1923年(大正12年) 樺太との間に稚泊航路が開設
1928年(昭和3年) 稚内港駅(現:稚内駅)が誕生
1935年(昭和10年) 稚内港が完成
1936年(昭和11年) 稚内港北防波堤ドームが完成
1945年(昭和20年) 稚泊航路が廃止
1978年(昭和53年)~1980年(昭和55年) 改修工事を実施
  • 稚内港北防波堤ドーム(北海道遺産)
  • 宗谷岬・宗谷丘陵(北海道遺産)
  • 南中ソーラン
  • 稚内層珪質頁岩(いわゆる稚内珪藻土)

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