概略
「宗谷岬」は、北緯45度31分22秒に位置し、わずか43㎞彼方にサハリンを望む日本最北の岬です。また、「宗谷丘陵」は今から約1万年前の氷河期にできた周氷河地形が広がっており、平成16年10月には「北海道遺産」に指定されました。この宗谷地域には、宗谷(稚内)の歴史を語る上では欠かすことのできない数多くのモニュメントや建造物だけでなく、安心・安全にこだわったブランド牛「宗谷黒牛」を育てる「宗谷岬牧場」や、57基の風車を有し、57,000kwの規模を誇る風力発電所「宗谷岬ウィンドファーム」、ほたての貝殻を粉砕して敷き詰めた「白い道」もあり、毎年多くの観光客が訪れています。
間宮林蔵の樺太調査
1807年(文化4年)、伊能忠敬に測量を学んだ間宮林蔵に、江戸幕府から樺太探検の命が下ります。翌年、林蔵は宗谷から樺太へと渡り、ラッカ岬にまで到達しましたが、厳しい自然を前に一度宗谷へ戻りました。その直後、林蔵はロシアの勢力範囲、樺太北東部の地図作成のため、再び樺太の踏査を命じられることとなります。
1808年(文化5年)7月13日、林蔵は再び樺太に渡り、翌1809年(文化6年)5月11日に北緯53度15分のナニヲーに辿り着いたところで、樺太と大陸間の広大な海峡を確認し、樺太が島であることを完全に立証しました。この結果は、フランスの地理学者ルクルスによって「間宮海峡」として認められ、また、林蔵の樺太図はドイツの医師シーボルトが刊行した「日本陸海図帖」に載せられ、世界地図にただ一人日本人の名を残すこととなりました。
宗谷丘陵ができるまで
今から約1万年前に地球最後の氷河期であるウルム氷期が終わると、雨水や川水が土砂を削り小さな谷がV字に刻まれ、現在のような周氷河地形ができました。このような地形は北海道のいたるところでできたとされていますが、開発などで破壊され、現在でもその美しい地形を最も顕著に見られるのは宗谷丘陵のみと言えます。